ひとは見かけによらぬもの、と
いうのは
大昔からの定説らしい。
見かけが人間のイメージを作るというが、
「長人」というあだ名さえもらったという孔子は
「長九尺有六寸、人皆謂之長人而異之」
身長は2メートル16センチもあり、
まわりからのっぽとはやされて見世物のようだった
というのだから、そちらの方でも普通じゃない。
たとえば、勇壮の代表のようにも考えられる
項羽(四面楚歌や虞美人で有名?)は
「長八尺餘、力能扛鼎、才氣過人」
背の高さは180センチあまり、
巨大な鼎を持ち上げる力と誰にも引けを取らない頭の切れ
というのだから、孔子もその仲間のようだったはずだ。
もっとも、過ぎたるは及ばざるがごとし。
身体が育ちすぎて、
そちらにばかり栄養をとられる例もあかもしれぬ。
でも、孔子だからね。
さらに大好きなのは音楽。聴くだけでなく作曲も玄人。
几帳面でなにより家族(血縁)が大切かと思えば
じつは愛情には薄い粘着質な男性。
さて、周りにいて尊敬する相手ならいいかもしれないが
ダイレクトに関わりを持つとなると
大分、ややこしそうだ。
古希が70歳なのは、
そんな孔子がその年を越えたからだともされる。
当時にしてはなかなか長命だったことになる。
最初に記したこととは反対になるが、
実際には太古から、
ひとは見かけが9割だったかもしれない。
およそ天下に三つの徳がある、と孔子が挙げるなかで
なんと最上は、身材偉大で美貌であること。
要は、見た目が一番。その下が
知能が人に勝れ何事もそつなくこなすのが中徳、
人の上に立ち勇猛果敢に世のなかを渡るのは下徳でしかない。
なるほど、諸葛亮だって身長八尺、
やはり180センチは十分にあった。
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