筆記具の多くは
摩擦によって色をこすりつける。
鉛筆などはその典型だ。
黒い亜鉛のスミを
拡大すると思いのほかザラザラな紙面を
刻むように残していく。

ガラス面をフォークの先端でひっかくような
神経に障る悲鳴のような音、
もちろんはるかに柔らかくではあるが
じつは鉛筆と紙との間にも
物理的にはそれとほとんど同じことが繰り返される。

恩寵に包まれたほんのわずかな例外が万年筆だ。
「fountain pen」
皆さんご存じのように、英語ではそういう。
large
「泉のペン」、それが万年筆だ。
毛細管現象を利用して
“永遠に”インクの途切れない
ペンが誕生したのがおよそ200年前。
そこから万年筆は筆記用具の頂点に上り詰める。

要は単なる道具なのだ。
ところが、こつがなかなか魅力的で
さまざまな意匠や技術を凝らした競争が始まる。
まあ、誰もが自分の知っている時期こそ
黄金期だといい張るのだろうが、
やはり、なんといっても1960~70年代がその名に値する。
男性にとっての三種の神器が
時計、ライター、そして万年筆といわれた頃だ。

そんなときにちょっと頑張れば手が届く
かわいい憧れはモンブランとパーカー。
さんざん国籍を変えてきたパーカーは
当時アメリカの象徴のようなもので、
一方のモンブランといえば、
いうまでもなく(フランス語だけどね)
ドイツ・クラフトマンシップの権化だった。
(少年少女たちにとっては)

時代が変わるのは早い。
銀製のダンヒルのライターは小道具の役を降り、
オメガやラドーの腕時計も輝きを失った。
ただ、やはりモンブランとパーカー。
筆記具の主役が万年筆でなくなって久しいが
まだまだそのライバル関係は少しも変わらない。
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