エディターたちの独り言

「エディット」を仕事にするものたちのつぶやきエチュード

juin 2020

先日、そういえば映画館でマーベル系の映画が再上映されているな〜と思っていたら、ジブリ4作も再上映されることになった。

Twitterでそれを知り、めちゃくちゃテンションが上がっていたところ、私がジブリ好きなのを知っている人、複数から同じニュースが入ってきた。実にありがたい。

そうなの!絶対見に行くよ!
なんて返しながら、より良い席で観るべく、映画館のカードを更新して、特典で一般の人より早くチケットが取れるよう万全の態勢を取る。

まるで遠足の前の日のようにワクワクしながらチケットを取った。

まずはナウシカから。
生まれるよりうんと(強調)前に放映されたこの映画は何度も観ていて、コミック7巻も持っているくらい好きである。

映画は2巻分しかないことは有名で、あんなに話がまとまっているのにあと5巻、何をするんだ?と思ってしまうけど、残り5巻で世界へ視野を広げる。

好きなシーンは、最初、トルメキア軍が風の谷にやってきたとき、虫使い(その世界では最下位くらいの人たちだと思われる)がナウシカに虫を這わせると、ナウシカは気迫で虫たちを散らし、烈火の如く怒った。

「貴様ら、私を誰だと思ってそんな無礼なことをしている」

そんな印象を与えるセリフだった。
このときはナウシカも、人種や職種に対する偏見を持っていたのだ。

それから大きな渦に巻き込まれ、放射能を出し続ける巨神兵と共に、世界平和を求めて大移動をする。
その中で次の世界を受け入れている者、抗っている者、次の世界に生きる者たちと出会う。

いつしかナウシカはどんな人も受け入れて、大ババさまの言っていた言い伝えの人のように世界との調和を模索するのだ。

2巻までを映画にしているからか、この虫使いのシーンはない。

3巻以降のアニメーションを庵野さんは制作してよいと宮崎さんに言われているそうなので、ぜひつくってほしいところだが、果たしてそれは叶うのか…。

次はもののけ姫を観る予定だ。
これはあまりに好きすぎて、何度見返したかわからない。
私のオオカミ好きはここから始まった。
アシタカでもサンでもなく、モロとモロの子に夢中である。

そういえば、今日一般のおうちからサーバルキャットが逃げ出したというニュースを見た。
申請をすれば、特別な動物だが飼うことができるらしい。

残念ながらニホンオオカミは絶滅しているが、モロたちは山犬である。
私はまだ夢を諦めていない。(○)


最近朝、力がでない。典型的な夏バテだと思う。
食欲がわかず、水分しか摂らないのでエネルギーが足りなくなる。
毎日ふらふらでひもじくお腹をすかせているばかり。

ようやくこの土日でエアコンを稼働させ(といってもまだ除湿だけど)、なんとなく涼しいかな……、を体感したところ。
エアコンや扇風機の風が直接当たるのは、やはり苦手だ。


毎年この時期は、本当に困っている。
食べたいものや作りたいものが思い浮かばないからだ。

そういえば大学生のときも朝食べずにバイトに行って、貧血を起こして座って作業させてもらったことがあったなあと思い出す。迷惑でしかない……。
そのときは書店でのバイトだったので、座ってポップを描いた覚えがある。

テレワークのときは、自宅でなにかをつまみながら、朝もゆっくりと咀嚼しながら作業ができていたのだが……。出勤となると、電車での移動時間があるので朝に「ゆっくり」なんてしていられない。
そして朝起きてすぐは胃にものを入れられない体質なので、そろそろと体を落ちつかせていると、すぐに時間が流れてしまう。
いけないことだと思いつつ、朝はお茶か塩飴しかなめられない。(鳥のようだな)

この食生活が続き、真夏になってしまう前に早めにテレワークを再開してもらいたい。
そうしたらちゃんと食べられるはず。

しかし健康面がましになるのとは逆に、作業効率が落ちそうな懸念があるのは痛いところ……。
スキャナーがあればなんとかなるのだろうか?(◇)

仕事は好きだ。
どんな仕事でも好きになれるポイントはあると思っている。
アルバイトの経験はガソリンスタンドをしたり年末年始の郵便配達したり、居酒屋で料理補助をしたりしていたくらいで、それほど経験が多いわけではないけれど、振り返ってみればどれも面白かった。あと一応テニスコーチもバイト時代があった。

ポイントは振り返ってみればという文言。
どの段階で振り返るかにもよるけれど、それは仕事終わり帰ってる時だったり、仕事の山場を越えた時だったり、完全にその仕事と離れてからだったり様々感じ方が微妙に違う。
タスクが終了した時の達成感からくる感情だとは思うけれど、大変だった反動により感情の波立つ大きさは変わる。
今までで一番好きだったのが、居酒屋のバイトの終了時かもしれない。
死ぬほど忙しくて入店から閉店までが一瞬に感じられるほど忙しい日が月に1度か2度ある。
そんな仕事終わり、クタクタになって食べるまかないとお酒の美味さは格別で、その時の満足感に震えるほど酔いしれる。ちょうど、大きな波にの後に来る引き潮で溺れてるよう。でも苦しくはない。のまれるままで、抵抗もままならない位が実に気持ち良かったりする。

考えてみて気づいたけれど、充足感は疲労に比例している。
そういう意味ではこの編集というお仕事はヤバい匂いがするけれど、それに少しワクワクしてしまっている自分もいたりする。
ちゃんと仕事がスムーズにこなせるならそうはならないだろうけれど、今のところ全然スムーズにできる自信も実力も無い。
せめて誰かを巻き込まないようにと思いつつ、すでに迷惑はかなりかけているので、申し訳ないと心から思っている。早く助け合えるくらいにはならなければいけない。

最初の目標はどんな形でも自分が関わった一冊の行方を見届ける。
次に最初から関わったものを一冊見届ける。

毎朝、不安と期待を感じながら階段を上がり、ドアを開ける。
そして挨拶をする。何事もその瞬間からスタートだと死んだじっちゃんが言ってた。(§)

うーん、丁寧で完璧な仕事をしたい。
毎回そう思っているけど、毎回うまくいかなくて悔しい。
そもそもミスをしすぎなんじゃないか?
毎回何かしらに追い込まれ凹んでいるんですけど…。

これは圧倒的に自分のキャパシティが足りない。
悔しい。
しかも「このままじゃダメだ」と自覚するのに、回避できない。
自分の無能さに呆然とする。

前は自分を責めていたが、それは「自分にできるはずの能力やキャパシティがある」と思っているからだ。
何度もミスをして、いい加減自分の能力の低さは自覚している。
だから「はあ、またこなせなかった。成長できていない…」と呆然とする。無力だ。

任された仕事を満足にこなせず、他の人の手を煩わせると本当に凹む。
相手の時間を奪い申し訳ない。

思えば物心ついた頃から、成長に対して貪欲だった。
頭が良くなりたい、素早くできるようになりたい、能力を付けたい、効率よく回したい。

それは未だに叶えられず、能力以上のものを高望みしてるんだなあと思いつつ、焦る気持ちからその望みから離れることができない。

刷り込みも相まって、これは一生変わらないと思う。
いつからか褒められるのも苦手になった。
自分で「今日の靴下、穴が空いてるんだよね」と言えても「靴下に穴が空いているよ」と指摘されたくないのと同じように、極たまに自分で「今回はできたな」と思えても人に褒められると全力で否定するし「全然です!!!!!!」って力一杯答えちゃう。

うーん、能力をつけたい。(○)

週末を今まで意識していなかったのは、基本的に2連休になる仕事の形態ではなったから。
土日が休みになるのは良い事だけれど、やっぱり人は多いなと感じる。
今までが平日休みだったので、公園に行っても、買い物行っても人は少なかった。
とはいえ、人が多くて困る事もそんなにない。飲食店で注文や料理が運ばれてくるのに少し時間がかかったりする程度なので特に気になるところでもない。

休みが土日になったからなのか、偶然なのか分からないけれど、公園を歩いていた散らかされたままにされているマックのゴミたちを発見してしまった。
心苦しい思いで私はそのゴミたちを見送る事にした。

正直に言うとこういうのはやめてもらいたい。とても困る。
片付ける人の身になって考えるのではなく、見送る人の身になって考えてもらいたい。
私は常々そう思う。
見るだけで不快になるゴミたちだけれど、実際にはどちらに対して不快に感じているのだろう。
捨てた人? それともゴミ?
私は後者で、捨てた人には、それだけの理由があるのだろうとか勝手に考えてしまうので良いのだけれど、ゴミそのものには動かしようのない事実として突き付けられてしまう。
良心は片付けた方が良いと私に言う。でもそれを見て見ぬふりをする。いっそ片付けた方が気持ちが楽になるかもしれない。
でもそれは私の役目じゃない。これは誰かがやってくれると他人に任せているわけでもない。
公園の中には片付けるに相応しい人がいる。だから任せる。

公園のゴミはちゃんと持ち帰って欲しい理由はスゴク個人的で自己中だけれど、見て見ぬふりが大変心苦しく、ストレスに感じるからなんだ。
怒ることがあまりないのだけれど、それは自分の中で怒りを作らないようにしているだけ。
なんで捨てるんだよ! って瞬間的に怒る事もできるけれど、じゃあその怒りはどこの誰が作ってどこの誰に向けるんだ? を考えると結局自分に対して怒っていることに気が付く。
見て見ぬふりしてる自分に怒りを覚えてる事に気づく。そんな事を自分に怒っても何にもならん、と割り切る事になる。結果怒らない。でもちゃんとストレスは感じる。
こういう考え方はスポーツをしてきたからなのかもしれない。失敗は全部自分の責任だし、ミスについて反省して速攻で気持ちを切り替える。ポイントが決まる8割は失敗、なんてスポーツをずっとやってると打っても響かないやつだと思われる事が多いのは、残念なところ。

何が書きたかったかといえば、自己中心的になってしまうけれど、ゴミはちゃんと持ち帰ってくれって話。
道端に落ちている空き缶程度ならコンビニまで捨てに行ったりすることもある。時間が無い時はしないけれど、そっちの方が気持ちが楽だから。
読み返すと自己肯定感爆発していて尊いまでにエモい(意味不明)(§)

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